pokotan_RXのブログ

適当にアニメのことを書いてると思います。

グラスリップがよくわかるお話(最終回編その1)

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わからなかったら円盤買って見ろというメッセージと共に大団円を迎えた『グラスリップ』。
種明かしをしない手品師のごとく謎を謎のままにしておくスタイルを最終話まで貫き通した実に難解なアニメです。

こうして考察ブログを3回も書いたわけですが、なんだか監督の思惑に乗せられているような気がして敗北感を禁じ得ません
わからないままにしておくのも癪なので今回は素直に踊らされることにして記事を書いてるわけですが、これがずいぶんと難航しました。
いや・・・・
難航してるのはこの作品だったな!(`・ω・´)


未来の欠片とは何だったのか?

結局何だったんでしょうね?
考察するために1話から見直して洗い出してみましょう。
ここでは映像の方を“光の欠片”、音声の方を“音の欠片”と呼ぶことにします。
そして本編で解消したシーンを探してみました。

第1話「花火」

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光の欠片:冒頭お祭りのシーン。
フィルムグラスをのぞき込む透子が何かを見る。
実際に何を見たのかよくわからないが、会話から察するに花火を見たのだと思われる。ドンドンいってる花火に誰も振り向かないことから察するに、透子だけに見えた花火と音なのかもしれない。
花火自体はこの作品で何度も出てきたので、この欠片は解消してると言っていいのではなかろうか。

音の欠片:上記同じシーン。
ダビデ「やっと見つけた」
僕が見逃してるだけかもしれないけど、本編でこれと類似したセリフはなかったような気がします。
第12話で透子を探していた駆が同じセリフを言いますが、あれをカウントしてよいものかどうか・・・イントネーションも違うし。


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欠片?
透子とやなぎが幸へのお土産に鈴を選んでるシーンで当たり前のように唐突に入る欠片エフェクト
エフェクトは同じだが、はっきり言って意味がわからない。
ひょっとしたら上記の欠片をダビデが見聞きした瞬間を表現したかったのかもしれないですね。そう解釈すると「君と同じものを見た」のセリフにつながります。

第2話「ベンチ」

音の欠片ダビデが家のマッサージチェアうたた寝してるときに聞いた。
透子「あなたの欠片は見つかった?」
・・・これも本編になかった気がする。


光の欠片音の欠片麒麟館にてダビデと透子が一緒に見聞きする欠片。

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透子「私も未来が見たいの」
光の欠片の方はおそらく第12話の内容だったのでしょう。
透子が電車でやってきて、4人はどこかへ行ってしまう。
放送当時は透子が電車にひかれて、それを笑顔で見送る4人という解釈をしてましたが、幸か不幸かそれは間違いだったようです。
音の欠片は第2話のラストシーンで透子がダビデに電話したセリフとして解消されてます。
ただし実際のセリフは「私、未来が見たいの」となっており微妙に違います。

第3話「ポリタンク」

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光の欠片ダビデを待つあいだ、ガラス工房で作業中に見る。
やなぎが涙を流すシーンはありますが第10話の涙はうれし涙です。この映像とは明らかに違いますよね。
やなぎが泣く理由がなかったわけでもないので、語られていないところで泣いていた可能性はありますが本編では未解消です。


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光の欠片:下山する前にフロントガラスの反射で透子が見る映像。
幸は第7話で検査入院をするので解消してると言っていいでしょう。ただし実際の病室には窓ガラスにステンドグラス風のシールは貼られていません。着ている服も違いますね。

第4話「坂道」

音の欠片:冒頭のダビデ家で父との会話の最中に聞く。
透子「一緒に行こう。」
透子「違うのかもしれない」
????
あったっけかな、こんなセリフ(´・ω・`)
この辺から未来の欠片とは何だったのかがよくわからなくなってきます。

第5話「日乃出橋」

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光の欠片:冒頭。ガラス工房での作業中に透子が見る。
この笑顔のダビデがどのシーンなのか?
制服は前の学校のものですね。
この服を着るのは学校の来るときぐらいだけど、こんなに安らいだ表情をする人ではないですよね?
ひょっとしたらこういうことかなというひとつの推測はあるけれども、それはのちほど書きます。


第6話「パンチ」

音の欠片:冒頭。ダビデが外の水道で顔を洗っているときと部屋に入るときに聞く。
透子「駆くん」
透子「そこにいたの?」
透子「探しちゃった」
おそらくこの3つでひとつのフレーズと考えていいのでしょうね。
ただし本編でこれに類似するシーンはないです。

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光の欠片:透子が恋を想像しながら歯を磨いてるときに見る。
このシーン自体はアップ過ぎて誰と誰のキスなのかはわからないですよね。キスシーンの欠片はこのあとも何度か見ますし、第10話で透子とダビデが実際にキスをします。ま、解消してると見ていいのでしょうかね。


音の欠片ダビデが透子を家に招待したときに母親が弾くピアノをトリガーに聞く。
ダビデ「俺は見つけたのか」
第6話のラスト。決闘(?)が終わったあと、校庭に残ったダビデと透子の謎のいちゃつき会話解消されてます。しかし実際のセリフは「俺、見つけたのか」となっており、これも微妙に違いますね。

第7話「自転車」

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光の欠片:透子がやなぎと海辺で会話しているときに見る。
幸のお見舞いに祐が来るのは確定的に明らかなので解消してると言っていいでしょう。とはいえこの映像は実際の検査入院のときとはちょっと違います。主に服と部屋が。



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光の欠片麒麟館でダビデとデート中に見る。
この辺から本格的に未来の欠片とは何なのかわからなくなってきました。
そもそもエッシャーの絵の中に落ちるなんてことが現実に起こるわけがなく、何かしらの比喩表現と見るのがいいのでしょう。
錯綜する世界に落ちるダビデと解釈すると何かすっきりします。
もっとも錯綜してるのは作品の方なのですけどね(´・ω・)


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光の欠片音の欠片:海辺でのデート中に見る。
やなぎ「お似合いのカップルよ」
これも上記と同様、比喩表現と見るのがいいのでしょうね。
単純にやなぎの悪意を見たと解釈するのが妥当でしょう。
ただ、これは未来の出来事と言うよりは現在進行中のようにも見えました。
分裂したダビデーズが「未来じゃないのかも」と疑問視してたように、未来の欠片がいよいよ意味不明なものになってきました。

第8話「雪」

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光の欠片:学校に行く透子が販売所の前を通るときに窓ガラスごしに見る映像。
それまでの欠片とは異なりもやっとしたエフェクトが無く、見えたヴィジョンの中に透子自身が立っているような感じですね。
言うまでもなく透子に割れたガラスが降り注ぐシーンは本編にありません。
このシーンが何を意味してるのか、かなり謎です。

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光の欠片ダビデと一緒に美術準備室に行ったら見えちゃった。
このシーンは演出的にも変化がありました。
現実から欠片へとシームレスに移行したり、その空間で長いこと行動をしたりといよいよ本格的に透子にお薬の処方が必要未来の欠片とは何なのかを問題提起してます。
#結局答えは教えてもらえないんですけどね(´・ω・`)

第9話「月」

なし。

第10話「ジョナサン」

透子が学校に行くと雪が見えるようになっていた。
それを未来の欠片と呼んでいいのかは不明です。

第11話「ピアノ」

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光の欠片:分身の森でダビデと一緒にトンボ玉をのぞき込んだときに見える映像。
ここでは今までとは明らかに違う演出がされてます。
それまでは本人にのみ見えていた光の欠片がトンボ玉に映し出されたという点です。
そのおかげでダビデにも見ることができました。
他人に影響するようになったという見方もできるが・・・個人的には別の解釈があります。
それは後ほど。

第12話「花火(再び)」

このエピソード全部が透子の見る妄想光の欠片だと思われる。

第13話「流星」

実はあなた方が見ていたこの作品全部が未来の欠片だったのです。
なし。


こうして見直してみると見聞きした欠片どおりにストーリーが進んだことは一切無いのです。
解消された欠片にしても誤差が生じています。
「起こりえる未来の可能性を見聞きしていた」という解釈ができそうだったのですが、それを第12話がぶちこわしてくれました(´・ω・`)

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図にするとこんな感じでしょうか。
過去が改ざんされた未来はもはや未来とは言えません。
それは別世界です。
SFでよく使われる便利な言葉を借りるのであれば“パラレルワールド”です。

ふたりが見聞きしていたものがパラレルワールドの“未来”だとしたら全部が説明できます。
第7話でダビデは「未来は変えられない」と言ってました。
第13話では透子が「あれは未来なんかじゃなくて、まだ起こってない、だけどきっとこれから起こること」という意味不明なことを言ってました。
それはパラレルワールドで起こる変わることのない未来ではあるが、自分がいる世界で起こる未来ではないということなのでしょう。

自分のいる世界と近しい世界の欠片であれば多少の誤差はあれども現実に起こり、遠い世界だとまったく関係ないものになるのです。
この考えを元に解消されていない欠片を見直すと、別世界の物語が見えてくるような気がしませんか?

とまぁ自信満々に書きましたが、あくまでもこれは僕個人の解釈であり作品内の情報でこれらを証明することはできません。


†唐突な当たり前の孤独†とは?

これは僕の勝手な妄想なのですが、このフレーズを考えるとき3人で1単語ずつ出し合ったのではないでしょうか?

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こんな感じだったらちょっとはかわいげがあったんですけどねw

閑話休題

第12話で透子が体験したものが†唐突な当たり前の孤独†であるとするならば、ダビデには別のパラレルワールドに移動する能力があるのかもしれません。
それが望むと望まざると唐突に起こるのだとしたら、移動した先にいる友人はダビデのことを知らないのは当たり前なので孤独になるのです。

しかしこの説にはひとつ無理があります。
それは†唐突な当たり前の孤独†を確認している観察者、つまり両親も一緒に移動していることになると言うことです。
しかし、この説を無理矢理に正当化することはできます。
ダビデの隠されたもうひとつの能力、記憶操作があるというものです。
一番近しい存在である両親にはダビデの持っている記憶をちゃんと写すことができ、そうでない人には部分的に記憶が写ってしまうのです。
最終話でなんだか知らないがみんなコーヒーを飲んでいたり、「自分の近くにいる人はみんなおかしくなる」的なダビデの発言がそれを裏付けているのではないでしょうか?
仮説を証明するためにもうひとつの仮説を立てるなんて本末転倒もいいところなのですが、
(視聴者)にはこの作品を読み解くための情報が足りてないのです(`・ω・´)

懲りずにこの仮説を検証していきましょう。
突然ですが、僕はこの世界がガラスでできていることに気づきました。

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『こいつはいったい何を言ってるんだ?(´・ω・`)
『ああ、作品に当てられてこいつも逝っちまったか・・・』
無茶しやがって
という嘆きの言葉と共にディスプレイの前にいる人達がものすごい勢いでブラウザーバックされてることと存じますが、僕のたどり着いた真理に少しでも興味があれば、もうしばらくおつきあいください<(_ _)>

ガラスはその性質上、同質のものは作れてもまったく同じ物を作ることはできません。
正確に500cc計れるフラスコがふたつあったとしても、これを三次元的に重ね合わせるとどこかしら誤差が生じるのです。
また同じ容器でも中に入れるものでさまざまに変化します。
こうしてできたいくつものガラスのひとつが自分たちの住んでいる世界なのです。
その隣には似た世界もあればまったく違う世界もあるのです。

ダビデはこのガラス世界を旅することができるーーそう、グラストリップをしているのです。

なぜダビデグラストリップができるのか?
それはダビデの持つ性質にあります。
音をきっかけにしてダビデは未来の欠片を聞くことができます。
音とはすなわち振動。
たくさん並んだガラス細工のひとつが音を立てると、その振動は近くのガラスに伝わり共鳴します。
つまり別のガラス世界から聞こえる共鳴音が未来の欠片の正体なのです。

そしてこの共鳴が強く反応したときグラストリップは発生するのです。
ダビデ†唐突な当たり前の孤独†を体験するきっかけはお祭り(あるいはそれに類似するもの)であることがわかっています。
つまり花火のような大きな音が鳴るときにグラストリップが起こると考えられるわけです。

(10/2追記)
なぜ大きな音だとグラストリップになるのか?
それは音は媒体を通じて「移る」からです。
しかし音は100%移動するわけではありません。
共鳴するときにロスするエネルギーもあれば、媒体の形が違うことによる周波数の変化もあります。
なのでグラストリップを繰り返したダビデは何かが欠けていくのです。
対して光はガラスを透過してしまうのでグラストリップしません。
しかし鏡像を結ぶことができればあるいはグラストリップできるかもしれません。
行きたい場所にピントを合わせることができれば音よりも精度の高いトリップが可能かもしれませんね。

分裂したダビデが何者なのかもこれで説明ができます。
それは隣のガラス世界にいるダビデの共振像とでも言いましょうか。
ふたりいるので両隣の世界から来たのでしょうね。
ガラス世界が平面的に並んでいるとは限らないので、3次元的に接しているところがあればダビデ5人とか10人とかに分裂している世界があるかもしれません。

無自覚とはいえダビデはこの共振能力を利用して物語におけるさまざまな怪現象を起こしていたと考えられます。
先の例のように同じ自分であれば対話を交わし、知り得ない情報を得ていると考えられます。
第1話のラストでダビデがカゼミチに訪れ、第2話の冒頭で「なぜここがわかった」というさっちゃんの問いに「ここが君たちのたまり場なんだろう」と当たり前のように答えたのも、共振能力によって得た知識だと考えられます。
この場面に限らずダビデは不思議とグループのことを知っていました。

第3話ではさほど会話してないはずの祐がダビデのことを「山好きみたい」と言ってました。
これは第12話のように駆と仲のよかった頃の祐の記憶が、すこし逆流したと考えられないでしょうか?

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ちなみに第12話では、季節が冬だったこともありますがみんなホットコーヒーらしきものを飲んでいます。
第13話での謎のコーヒー推しがここからの逆流だとしたら、いろいろと合点がいきます。

共振能力によって別世界の知識や情報を逆流させてしまっているのだとしたら、ダビデの周りにいる人がおかしくなる的な発言もようやく納得できます。

雪哉が透子への告白を焦ったのも、正常な見方をするのであれば「感情がわかりやすい透子が転校生に惹かれてるのに気づいて早めに行動に出た」と解釈するところですが、「別世界の苦い失恋の記憶が逆流し、トラウマを克服するために告白を焦った」といったような解釈もできるわけです。

#余談になりますが、以前ダビデのことを“駆”と呼びたくないと言いました。その理由は彼に人間らしさを感じないからです。彫刻の名前を当てたのは製作サイドからも彼から人間らしさを奪う意図があったようにも感じます。なので第12話の彼のことは“駆”と呼ぶことに違和感を感じないのです。これが本来の沖倉駆なのでしょうね。


今度は透子にスポットを当ててみましょう。
彼女が持つ属性は言わずもがなの光です。
ふとした瞬間にガラス越しに別世界を垣間見てしまうのが透子の未来の欠片の正体なのです。

人間の目はエックスパワーでもない限り光を受信することしかできません。
なので透子が他のガラス世界に干渉することはできません。
しかしダビデと出会いにより能力に変化がありました。
ダビデに欠片が聞こえなくなったときと時期が一致することから、彼の能力をもらい受けたと考えるのがいいでしょう。

第8話で見た割れたガラスが降り注ぐヴィジョンはガラス世界を移動する予兆のようなものと考えています。
銀世界になった校庭に立つ透子も第12話のアナザーストーリーにいる透子もグラストリップの一種だと考えられます。
しかし彼女はすぐに元の世界に帰ってきます。
それは彼女にとってこの世界が「みんなと過ごした忘れられない場所」だからです。
家族に恵まれ、友達にも恵まれたこの世界こそが透子の帰る場所なのです。

となるとダビデがふらふらとグラストリップしてしまうのは家族のせいなのですね(´・ω・`)

以前ダビデの父親のことを「脱いだ靴をそろえられない残念な人」と評しました。
その程度の欠点だけで彼の人間性を全部否定するつもりは毛頭ありません。
しかし、細かな気遣いができない人なのだろうなと感じました。

いくつか根拠があります。
そのひとつは第4話での父子の会話です。

父「一般的には、親の都合で子供が右往左往されるのは・・・」
ダビデ「扶養家族だし、ま、あるていどはしかたないことだよね」
父「そういってくれると助かるよ。でもそれは子供が小さくて自立できないときの話だ」

ここで話をやめてしまうのがこの父親のダメなところなんです。
まぁ息子の方も聞く気なさそうな空気を出してたけどね(´・ω・)

子供の正当なわがままをちゃんと聞いてあげられない、あるいは気づいてあげられない父親だったのだと思われます。
駆は我慢するタイプの子供だと思うので、たぶん後者なのでしょうね。
だからダビデは母親のツアーに振り回され、友達のできない子供時代を送ったわけです。
もしこの父親に子供の本音がわかる気遣いがあり、もっと3人で対話をしていたなら駆はダビデにならずに済んだのだろうなと、つくづく思うわけです(´・ω・`)
ひいては†唐突な当たり前の孤独†などという黒歴史を作らずに済んだのです。

あ、ちなみにあの母親には何も期待していません( ・ω・)
芸術家ってあんな感じの人が多いですし、ああいう人間がいてもいいと思います。
ただ、子供にはちょっと不幸だったなと思うだけです。


解消されていない欠片たち

解消されていない欠片たちについてひとつの考察を述べます。
別の世界で起こるであろう未来だというのは先にも書きましたが、仮にもいっぱしのプロが作った作品で意味のない無駄な情報を分散させていたとはとうてい思えません。

透子はダビデからグラストリップの能力を受け継ぎました。
だからといってダビデ自身の喪失感が埋まったわけではありません。
ダビデに欠けている何かは、彼が繰り返したグラストリップの課程で失われたものなのです。
だから透子はダビデを迎えに行くためにグラストリップをするのです。
第1話でダビデが透子にしたように、今度は透子から各世界のダビデを訪ねていくのです。
そして、おそらくは、ダビデが無くしていた欠片を全部集めることができたのではないだろうか、と僕は思うわけです。
その根拠は未解消の音の欠片を遡るように読むとそれっぽいストーリーが見えるというだけの曖昧なものですが・・・(´・ω・)

第6話「パンチ」
  透子「探しちゃった」
  透子「そこにいたの?」
  透子「駆くん」
第4話「坂道」
  透子「違うのかもしれない」
  透子「一緒に行こう。」
第2話「ベンチ」
  透子「あなたの欠片は見つかった?」
第1話「花火」
  ダビデ「やっと見つけた」

そして第5話で見たさわやかな笑顔のダビデ、もとい駆になるのです。
#実は『ガラスを駆けるダビデ』が最初のタイトルだったのではなかろうかと思ったり思わなかったり・・・。

ちなみにどうして欠片は未来から来るのか?
それは光が未来から来るからです。
人は皆光さす場所へ向かっているのです。
対して音は、ひょっとしたら多少は時間を前後するかもしれませんね。


結局あの最終話は何だったんですか?

まぁ、おおよそ見たとおりに解釈していいと思います。
結局ダビデはやなぎにきちんと説明できてないことも含めて見たままの解釈でいいと思います。

個人的に気になるのはトンボ玉を空にぶちまけるシーンですね。
映像ではお空に星が流れましたが、視聴者の頭上には「?」が浮かんだことでしょう。
自分が特に気になったのは映像の順番です。

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夜空を見上げて立つふたり。


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トンボ玉を構えてるふたり。

 

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ちょっと小さくってわかりづらいけど
夜空に散らばる光の粒。

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手に構えているトンボ玉。

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夜空に飛び散る光の筋。

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「せーの!」

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まだトンボ玉は手にある(´・ω・`)

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飛び散るトンボ玉。

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お空に向かってトンボ玉を投げるふたり。

 

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投げるふたり。

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お星様になるトンボ玉。

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何か見える。

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夜空を見上げるふたり。



とまぁ見てもらったように、トンボ玉を投げたと思ったらまだ手にあったりと、時間が前後してるような感じなんですよね。
この作品において時間が前後する演出はしょっちゅうあることなので今更驚きはしないのですが、3回も前後するのはさすがに何かしらの意図があると考えるわけです。
トンボ玉が3回分あったという可能性もあるけど、自分は違う考察をしてみました。

自分の仮説を信じるのであればこの日同時に3つの世界でトンボ玉を空に投げる2人がいたのではないだろうか?
曇り空なのに他のみんなも見ることができた流星群は、隣の世界の2人が投げたトンボ玉がガラス世界の天井を彩ったからだと考えます。
人の投げたものが天井まで届くのかって?
グラストリップができる透子がいるのならそれも可能なのです。
第11話でトンボ玉に花火が映ったように、今の彼女には世界の境界線がすぐそこにあります。
流星を見たいという願いと共に投げたからこそトンボ玉のシャワーはガラスの天板を彩ったのです。


もうひとつ気になるのは次のシーン。

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この4隅にあるモヤのようなものが気になります。
光の加減かとも思ったけど、何度も見直して確信しました。
これは明らかにフィルターがかかってます。
こういうモヤのようなフィルターが意味する演出は、普通に考えるなら回想シーンでしょうね。
残り5分もないのに、いったい何を回想するのか?

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回想シーンであることを説明するためには現在の時間を決めなければいけません。
フィルターのないクリアな映像になるのはみんなの登校シーンです。
しかし、ここを基軸に回想するにはさっきのシーンはさほど過去とは言えません。
それでも透子にとってはあのシーンは回想するに値するほど昔の出来事だったのです。

透子にとって守るべき相手。
そのジョナサンが実は冒険者の名前であることを知った透子は「未来のあたしが解決する」という決意と共に、あの日からダビデの欠片探しにグラストリップをはじめたのです。
そうすると回想シーンであることも納得できます。(できるよね?)
#ところでジョナサンって冒険者でしたっけ?いや、確かに奇妙な冒険をしてる有名なジョナサンがひとりいらっしゃいますが・・・。

ラストシーンで声だけ聞こえるダビデ
あれは実際にダビデがいるのかいないのか?
それは視聴者のご想像にお任せします。
というのが監督の意図だと思います(´・ω・`)
きっと円盤付属のブックレットにも、そう書かれていることでしょう。
なのでここで答えを探すことに意味はないので僕の考えを書くだけにします。

前述のように駆は帰ってきます。
テントが無くなっていたのは全ての欠片を集めた駆にはもう離れて暮らす必要がなく、ちゃんと家の中で暮らしているからだと考えます。
めでたしめでたし。よかったね。( ・ω・)


その他の人物で気になったこと

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幸「あたし、透子って名前好き。でも祐って名前も大好き」
このセリフにはどんな意味があるんでしょうかね?
「私、バイセクシャルだけどそれでもいいの?」って確認してるんですかね?
#それとも某引越センターのCMにかけて「私はあなたに乗り換える」と宣言してるのか?


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百さんは結局何だったんでしょうね。

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病院のこのシーンも投げっぱなしだし。

百さんみたいなすっとぼけたお姉ちゃんは大好きなので、けっこう気になってました。
でも、どうやら作品における彼女の役目は車を出すことと解説役だったのでしょうね。


本当にパラレルワールドでいいのか?

ここまで長々と書いておきながらその根幹を前触れもなく否定します。
ガラス世界という設定はあくまでも僕の考察であり、作品内の情報だけで説明できるものではありません。
そんなに作品内の情報が大事なのか?

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同じP.A.WORKSの作品である『凪のあすから』を引き合いに出しましょう。
海の中で人が生活をするこの世界では水の中であるにもかかわらず消えない不思議な火で料理をし、お椀に汁を注いだり、コップに酒を注いだり、あまつさえ涙は下にこぼれたりと物理法則を完全に無視しています。
しかしこれらは作品全体を通して「海の中はそういうものである」と言い切っているからこそ気にならないのです。
アニメ作品において大事なことは小難しい理屈ではなく、設定をちゃんと表現できているかどうかなのです。

そうやって考えるとこの『グラスリップ』は説明が足りません。
いや、本当に足りません。
マジで(・言・)

キャラクターの説明も未来の欠片の説明も何もかも・・・。

話を戻してパラレルワールドのことですが、本編では「パ」の字もでてきません。
唯一それに近い発言は第12話の透子のセリフ。
駆に「ここは、私の未来の欠片の世界?」と問うシーンです。
しかし、すぐあとに想像の世界と言ってしまうのです。

僕の「ガラス世界」という仮説を証明するにはあまりにも根拠が薄弱なのです。
むしろ
そんなファンタジーな設定はありません!
思春期特有の妄想です!

と言い切った方がよっぽど説得力があるのです。
そう!未来の欠片なんて設定は必要なかったんだ!!
「ちょっと変わった転校生との一夏の恋でした」で十分だったんじゃないカナ?


容量が厳しくなったので次のブログにつづきます(´・ω・`)