pokotan_RXのブログ

適当にアニメのことを書いてると思います。

グラスリップがよくわかるお話(最終回編その2)

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前回のあらすじ。

難解アニメ『グラスリップ』の考察を重ねたポコタン。
作品に登場するキーワードである「未来の欠片」や「†唐突な当たり前の孤独†」を説明するために「ガラス世界」という仮説を容量がいっぱいになるまで書いた。
しかし、それは無情にも作品によって9割9分9厘否定された。
1%でも可能性があれば、まだ希望は捨てなかったのだが・・・

そしてふりだしに戻ることを余儀なくされた。




じゃ、未来の欠片って何なの?(´・ω・`)

最終話にいたって重要参考人が現れましたので彼女の証言を聞いてみましょう。

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「私も若いときに何かもやもやしたものが見えました。
ひょっとしたらこれは未来なんじゃないかと思っていた時期もありました。
でも全然違いました。
本当にあれ、何だったのかしら・・・」

(’○Д○)おまえもか!!
グラスリップ視聴者がひとり残らず同じツッコミをしたことでしょう。
作品を通じて皆の心がひとつになった瞬間です。

しかしこの証言を聞いて僕は思い出しました。
僕にも未来の欠片は見えてました!

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『やっぱりこいつクスリキメてるよ・・・』
『このアニメ、ドラッグだったんだな(´・ω・`)
無茶しやがって
という嘆きの言葉と共にディスプレイの前にいる人達がものすごい勢いでブラウザーを閉じていることと存じますが、僕のたどり着いた真理に少しでも興味があれば、今しばらくのおつきあい願います<(_ _)>


子供のころ、将来なりたいものとかを夢見たことありませんか?
根拠のない自信に希望を見たり、あるいは取るに足らない失敗に絶望したりと思い起こせばありもしない将来に一喜一憂したものです。
大人のなるにつれ未来とは知識と経験から予測するものになってしまいました。
夢見る力を失ったと言いかえてもいいかもしれませんね。

この作品で未来の欠片と呼んでいるものは、そういった将来の夢を具体的に見たり聞いたりしたインスピレーションなのではないでしょうか。

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深水透子というキャラクターは言うまでもなく夢見がちな少女です。
僕の第一印象は「『赤毛のアン』みたいだな」でした。
高3でこれは大丈夫なのかとも思いました(´・ω・`)

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その母親も同じく夢見がちな人だと思われます。
娘の服を着る自分を想像するなんていつまで夢見てるんだこのBBとてもお茶目な女性だと思います。
デッサンや模写に夢中になるあまり時間を忘れたり息を吸うのを忘れたりと、若いころは今以上に奔放な人だったのでしょう。

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対して陽菜ちゃんは現実的な子です。
今晩の献立を相談されたときに真っ先に冷蔵庫の在庫を言えるぐらいしっかりした子です。
ひとり芝居で姉の不在をごまかそうとする年齢相応の稚拙さはあれど、この子は決して曖昧な基準で判断することはありません。
この子はきっと未来の欠片などという曖昧なものは見ないでしょう。

欠片を見ていた前者ふたりに共通するのは夢見がちであることです。
あるいは荒唐無稽な想像をする人と言い変えた方がしっくり来るでしょうか。

ってことは・・・

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夢見る少年
沖倉“ダビデ”駆

彼はいったい何を夢見ていたんでしょうね。
あっ。友達が欲しかったんですね。

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想像上の友達じゃなくって本物の友達が・・・

透子がダビデの何に惹かれたのかはよくわかりませんが、第6話のような失態を見せられようと、第7話のような目にあおうとも性懲りもなくダビデの側に寄ってきてくれました。
それにダビデが満足したから欠片は聞こえなくなったのかもしれません。

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しかし母親のツアーの一件が片付いたわけではないので、イマジナリーフレンドの警告は続くのです。


それでは未来の欠片とはいったい何だったのか?
ふたりの見聞きした欠片を”将来への期待や不安が見せたインスピレーションである”と仮定して振り返ってみると、案外すんなりと納得がいきます。

第1話「花火」

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光の欠片:冒頭お祭りのシーン。
このシーンで実際に何を見ていたのかはよくわからないと前回書きましたが、第13話の会話で花火の日にふたりはお互いを見たとも言っていたので「あの子、見かけない子だな」ぐらいの認識でダビデのことが気になってただけかもしれませんね。


音の欠片:上記同じシーン。
ダビデ「やっと見つけた」
ダビデが直感的に透子を同類と思ったのかもしれませんね。

第2話「ベンチ」

音の欠片ダビデが家のマッサージチェアうたた寝してるときに聞いた。
透子「あなたの欠片は見つかった?」
「あの子は来てくれるかな~( ´ー`)」
「どんな反応するかな~( ´ー`)」
なんてことを考えてたからこんな妄想が聞こえたんじゃないでしょうか?
そもそもこの時点で透子は未来の欠片という単語をまだ知らないのだから、こんなセリフを言うわけがないのです。
これはダビデの妄想以外の何者でもないのです。

光の欠片音の欠片麒麟館にてダビデと透子が一緒に見聞きする欠片。

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透子「私も未来が見たいの」
透子は自分への好意には気づけないがやなぎと祐の想い人にはちゃんと気づいていたので、このグループにおける自分の疎外感を漠然と不安に思っていたのかもしれません。
それがこのヴィジョンとして表れたと考えるとすっきりします。
音の方は・・・まぁこれは書くまでもなくわかるでしょう。

第3話「ポリタンク」

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光の欠片ダビデを待つあいだ、ガラス工房で作業中に見る。
やなぎ→雪哉→透子の三角関係にようやく気づいた透子が不安になって見たヴィジョンと考えれば何も問題ありません。


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光の欠片:下山する前にフロントガラスの反射で透子が見る映像。
さっちゃんを心配するあまり見たと思われる。
普段から病弱なのは知っているのに、なぜこのタイミングで特別に入院というヴィジョンを見るのか?
それは祐から告白を受けたさっちゃんが、どことなく普段と様子が違うことを嗅ぎ取ったからだと思います。

第4話「坂道」

音の欠片:冒頭のダビデ家で父との会話の最中に聞く。
透子「一緒に行こう。」
透子「違うのかもしれない」
前者はわかりやすいけど後者は何が違うと言ってるんでしょうね?
僕はダビデの言動がいまいち信用できません。
麒麟館でのヴィジョンはあくまでも透子の視点で描かれています。
ひょっとしたらダビデは透子と同じヴィジョンを見ていたわけではなかったのでは・・・と思ったりするわけです。
どんなに気心の知れた相手とでもそうそう何度も同じインスピレーションを得るというのは確率論的に無理でしょう。
ということはふたりを結ぶ共通の妄想癖は簡単に崩れるかもしれないのです。
そんな不安が後者の欠片になったのでしょう。

第5話「日乃出橋」

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光の欠片:冒頭。ガラス工房での作業中に透子が見る。
いつも仏頂面のダビデが笑ってるところを見てみたい。
そんな感じ??


第6話「パンチ」

音の欠片:冒頭。ダビデが外の水道で顔を洗っているときと部屋に入るときに聞く。
透子「駆くん」
透子「そこにいたの?」
透子「探しちゃった」
第5話で透子はダビデを訪ねておきながらその用件を言わずに帰ってしまったことを受けて。
( ´ー`)。oO(あの子の用件は何だったのかな~)
( ´ー`)。oO(また来てくれないかな~)

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光の欠片:透子が恋を想像しながら歯を磨いてるときに見る。
余計なことを考えてたから見たんですね(´・ω・)

音の欠片ダビデが透子を家に招待したときに母親が弾くピアノをトリガーに聞く。
駆「俺は見つけたのか」
「母親について行かなくていい理由を」と続けると納得できます。

第7話「自転車」

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光の欠片:透子がやなぎと海辺で会話しているときに見る。
これは説明不要ですよね。


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光の欠片麒麟館でダビデとデート中に見る。
いくら逢瀬を重ねても本音が見えないダビデに不安を感じたから、こんなヴィジョンを見たんじゃないでしょうか?
ふとした瞬間にダビデが均一なマトリックスの向こう側に逝ってしまいそうな、そんな不安です。


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光の欠片音の欠片:海辺でのデート中に見る。
やなぎ「お似合いのカップルよ」
これも説明不要ですよね。

第8話「雪」

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光の欠片:学校に行く透子が販売所の前を通るときに窓ガラスごしに見る映像。
思春期特有の妄想だとしても意味がわからないこのヴィジョン。
ただのインスピレーションだったものに「未来の欠片」などと名付け、まるで特別な能力のように思い違いしてしまったために暴走したーー思い込みに振り回されたといったところでしょうか?


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光の欠片ダビデと一緒に美術準備室に行ったら見えちゃった。
先に見たキスシーンの実現願望があると同時に、無垢なままの自分であり続けたいという願望が雪を見せたのではなかろうか?
美術準備室は雪哉の指摘により自分の恋心を意識しはじめた場所である。
当然ながらこの頃からHなことも考えるようになったであろうことは想像がつきます。
18にもなってそんなにうぶなのか?という疑問はさておき、自分の中にある無自覚な性欲を受け入れられず、それを隠すように雪が降り積もるヴィジョンを見たという解釈ができます。
#冬の花火を描きたいがために前振りとして降らせたという身も蓋もない解釈もできるんですけどね(´・ω・`)

第10話「ジョナサン」

透子が学校に行くと雪が見えるようになっていた。
前述の解釈を是とするなら、自分の本音をまだ隠していたいのでしょうかね。
実際にキスをしたあとも雪が降り続けていたから、それだけじゃない気もしますね。
製作進行の都合を考えると、第12話の布石のためにもここで雪がやんでもらっては困ります。
透子が気づきたくないものが他にあるとすれば、それはダビデの本音ではないでしょうか?
三者の視点で見ると、ダビデ自分の疑問を解決するためだけに透子を利用してるようにしか見えませんからね(`・ω・´)

第11話「ピアノ」

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光の欠片:分身の森でダビデと一緒にトンボ玉をのぞき込んだときに見える映像。
来年は一緒に花火見ようね。
という願いから見たのでしょう。

第12話「花火(再び)」

このエピソード全部が透子の見る未来の欠片妄想だと思われる。
†唐突な当たり前の孤独†を透子なりに解釈した妄想です。


こんな感じに未来の欠片を思春期特有の妄想と考えれば無難な解釈ができます。
でもこれって説明に無理はないけどおもしろくないんですよね(´・ω・`)


その他の不可解な現象について

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なぜダビデはカゼミチの場所がわかり、そこが彼らのたまり場であると知っていたのか?
さして大きくない街なので聞き込みをすればすぐわかりそうなものですが・・・果たしてそうしたのか?
前日に透子と会話して鶏を家に連れて行くことがわかっていた。
カットされているが会話はしばらく続いていたと思われます。
5羽全部を自分の家に連れて行くわけにはいかないという結論に達した透子は友達を頼ると言うでしょう。
そして日課である早朝登山にいく途中、たまたま通りかかった喫茶店からけたたましい鶏の鳴き声を聞いたとしたら・・・。
そう!これはダビデの計画通りだったのだよ!!


第3話で祐がダビデのことを「山好きみたい」といった理由は?
接客業をしているとお客さんの靴を見る習慣があるんですよね。
店内を清潔にする意味と、お客さんの質がわかるから。
ダビデの履いてる靴がトレッキングシューズだと見て、山好きと判断した・・・。

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これをトレッキングシューズと言うにはちょっと無理があるかな(・ω・`)


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第4話でダビデはやなぎの名前がひらがなであることを言い当てた。
そして名前の由来らしきものもぺらぺらと語り出した。
やなぎの反応を見る限り、それはハズレではなさそうだった。
なぜダビデにそんな芸当ができたのか?
A.厨二病がたまたま功を奏した
ダビデは元々頭のいい人です。
少なくとも相手の言葉を先んじて答えられるぐらいの洞察力の高さがあります。
無難な言葉を詩的に言うことでささやかな賞賛を得たという、ただそれだけのことです。


Q.最終話でのダビデのセリフ「ひとつところにいようとすると他の人を余計なトラブルに巻き込むことになる」とはどういう意味だったのか?
A.ただの思い違い
はえい、ダビデがそういう思い違いする原因はあったと思います。
幼いころに母のツアーについて行くことに反対しようとしたことがあったのでしょう。
しかし、そうすると夫婦の仲が悪くなり、あろうことかあの母親は友達の家に押しかけたりしたのではないでしょうか?
さすがにこれは想像の域を超えませんが、この発言をする原因は過去にあると思います。


Q.最終話でみんながコーヒーを飲んでいたのはなぜ?
A.傷つき傷つけ一夏の経験をした少年少女たちはひとつ大人になったという暗喩。


Q.「地元の子供が祭りのになるとお祭りモードになって急に忘れられる」とは?
これだけ説明できません。
そもそも証言が意味不明です(´・ω・`)
ハメをはずしたダビデが何かやらかして地元の子供にシカトされたとか?
現実的に考えるならその程度しか思いつきません。


Q.†唐突な当たり前の孤独†とは?
A.転校を繰り返してれば当然そうなりますよね(´・ω・`)


とまぁこんな感じでひとつの例外を除いて現実的な範囲で説明ができます。


結論

未来の欠片が思春期の妄想であるとするなら、おおよそのことは現実的に説明がつきます。
しかし、それではおもしろみがないのです(´・ω・`)
この作品、それでいいんですかね?

たとえば日常系の作品って我々が暮らしているリアルな日常を寸分違わず再現するのではなく、あくまでも“登場人物たちの日常”を描いているのであって、我々が体験できないドラマチックなストーリーがおもしろいのです。
そこには奇蹟も魔法もあっていいんです。
しかし妄想説を正解とするならば、透子とダビデに必要なのは奇蹟と魔法ではなくお薬とカウンセリングです(´・ω・`)


一方でガラス世界説は僕個人の妄想でしかありませんが、一難去ってまた一難のぶっちゃけあり得ないスペクタクルなドラマが展開されています。
手前味噌ですが、この説なら全部説明できる気がするんですよね。
何よりあれこれ考える余地があって楽しいです。


「どっちの説が正しいか?」など言うつまらないことを論ずるつもりはありません。
謎を謎のままにすることで視聴者にあれこれ想像してもらい、互いに議論しあって楽しんでもらおうというのがこの作品の真意だったのではないかと考えるからです。
そういう作りの作品はあってもいいと思います。
議論が白熱し、社会現象とまで言われた名作も過去登場したことでしょう。

突然ですが僕はこの『グラスリップ』が好きです。
だからこそはっきりと次の言葉を言います。
「この作品において、その手法は失敗だった。」
ハードルが高かった・・・というより踏切位置を間違えた感じですね。
作品の説明が十分足りた状態で、なおかつ気になる謎が残るからこそ謎かけになり得るのに、話数が進んでも説明が足りないままハードルをドンドン蹴倒してる印象でした。
終いには跳ぶべきハードルが分身する始末です(´・ω・`)
次はもう少しわかりやすく作ってください。


感想

Q.『グラスリップ』は楽しかったですか?
A.とってもユカイでした。
先にも書いたように僕はこの作品好きです。
まあ、好きじゃなければ一文の得にもならないテキストをだらだら書いたりはしませんよね。
元々わからないことがあると気が触れる気になってしかたがないたちだったので、このスリードだらけの深淵ラブコメは僕のささやかな探求心を満たす恰好の対象となりました。
とはいえ謎だらけの作品があれば何でも好きになるのかと言われたらそうではありません。
作品の舞台である日乃出浜という街の美しい景観が気に入ったからこそ最後まで見ててもストレスにならなかったんです。
#陽菜ちゃんのかわいさとか百さんのほどよいウザさとかにも助けられました。

だから内容のない雰囲気アニメとか言われても仕方がないと思います(´・ω・`)
誰もが僕みたいに一生懸命謎解きしようとするわけではないですからね。
口さかない人達は他にももっといろいろな悪口を言ってることと思いますが、言いたい人には言わせておけばいいんです。




ごめん。
擁護できません(´;ω;`)





最後にこの作品のテーマに触れて締めたいと思います。
この作品のテーマは言うまでもなく高校最後の夏を迎えた少年少女たちの青春ドラマです。
なので僕みたいないい年したおじさんではなく、現在思春期を迎えている同年代の人達にこそ見てもらいたい作品だったのだと思います。
そして最終話にて彼らに向けてのメッセージが残されています。
そのメッセンジャーは・・・

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夢見る二児の母
深水真理さんです。

もやもやと曖昧に見える未来に振り回されることもある。
だけど現実は想像もつかないことばかり。
だから思い悩むくらいなら踏ん切りがつくまで、今を精一杯生きなさい。


要約するとこんな感じのメッセージを視聴者に向けて発信していたのだと思います。
だから高校最後の夏を精一杯生きた5人の登校シーンで物語は締めくくられるのです。

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彼らが進む先には、きっといろいろな困難があることでしょう。
でも、この夏を精一杯生きた彼らなら、未来の自分たちが、きっと、みんな解決してくれることでしょう。


いったい何人このブログを最後まで読んでくれたかわかりませんが、ここまで読んでくださりありがとうございました。

それでは皆さん。
P.A.WORKSの次回作にご期待ください。
10/14追記:『SHIROBAKO』は期待できそうです。

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