pokotan_RXのブログ

適当にアニメのことを書いてると思います。

バミューダトライアングル~カラフル・パストラーレ~がもっと好きになるお話

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海の中にある小さな村パーレル。
そこにはささやかな日常を送る5人の女の子たちがいました。
彼女たちの歌は、まだ、ない……。


大人気TCG『カードファイト!!ヴァンガード』のスピンオフアニメーション『バミューダトライアングル~カラフル・パストラーレ~』が多くのファンに支えられて堂々のフィナーレを迎えました。

この海を漂うが如くゆるくふわふわした作品に僕の心は年甲斐もなくドキドキワクワクで満たされました。
この気持ちをみんなと共有することが「楽しい」なんだとキャロに教わったのでもう一本だけブロマガを書くことにしました。
今回は長くなるのでお時間のある時にお読みください。


・それは努力の物語
「努力なんて要素あったか?」とお思いの方もいるかもしれません。
確かにスポ根のような暑苦しい展開はありませんが彼女たちは決して努力を怠っていません。
それは誰にでも簡単にでき、されど続けることの困難な「諦めない」という努力です。

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ソナタはアルディに何度止められても映画館を諦めませんでした。
劇中では「おねだり」とやさしい言葉を使ってますが見方を変えれば自由のために権力に抗ってますからね、これ。
厳しい世界なら首長権限で謹慎を言い渡されるって展開もあり得たでしょう。
それだけソナタの覚悟が本物だったということです。
#もっとテーマに沿った見方をするなら「大人の庇護下からの脱却」ってところでしょうか。

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フィナは料理と裁縫を得意とするが最初は失敗だらけでした。
けれどもセレナの応援を受け諦めずに頑張ってきたからこそ今があります。

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セレナはもともと努力家でした。
少なくとも自分の興味のあることに対しては諦めるということをしません。
時には自分の無力さを認める勇気もあります。

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自由奔放なキャロは楽しいことには常に全力で当たっていきます。
しかし不真面目というわけではありません。
「楽しい」の答えがわからなくなったときはしっかりと向き合うし、映画撮影最終日の悪天候イワシストーム)には責任を感じてます(キャロの責任じゃないがな)。
何よりカノンが結晶化しているときでも映画館の仕事をしてるのはキャロだけです

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このように彼女たちの諦めないひたむきな姿が丁寧に描かれてきました。
ここにきてカノンが再び結晶化してしまいます。
その意味するところは「挫折」です。
挫折とは努力を続けてきた者のみが真に味わうことのできる特権です。
そして挫折から立ち直るのに必要なものは「愛」なのです。
フェルマ「何故そこで愛ッ!?」


・愛とは相手を信じ、待ち、許してやることだと『スクールウォーズ』から学んだ

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彼女たちは何かとすぐに抱き着いてきますが実はこの行動、とっても理にかなってます。
重力のくびきから解き放たれることのない我々地上の人間が同じことをしようとすると、ごく至近距離にいる場合ならいざ知らず少しでも離れたらタックルする必要があり、抱き着かれた相手がそれを支えきれなかったら倒れて最悪怪我をしてしまいます。
しかしやさしい海に守られた彼女たちは抱きとめてあげることができるのです。
最上級のスキンシップとして日常的に行われる理由がここにあります。
#決してお前らへのサービスじゃねーぞ(´・ω・`)

またハグをするときは決まって感情が高ぶった時です。
この世界では彼女たちマーメイド以外は我々もよく知る海洋生物しかいないようです。
コミュニケーションは取れるが、いやむしろ会話が成り立つからこそマーメイドたちは自分たちが異質な存在であることを実感してしまうのでしょう。
そんな時に同族と触れ合って安心感を得ようとする行動がハグなのです。
とまあ生物行動学のような小難しい解釈をしましたが要するに「あなたにいてくれてありがとう」と全身で伝えているんです。
もっと簡潔に3文字でいうなら「隣人愛」です。

こうしてみるとソナタたちがいかにやさしい愛に育まれてきたかがわかります。
マーメイドたちを育てるのが愛だとすると彼女たちが恐れるのは「孤独」でしょう。
#独りぼっちは、寂しいもんな

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若かりし頃のフェルマは養生のためにサナトリウムで独りぼっちでした。
そしてこの先もずっとひとりなのか不安を抱えていました。

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都会から逃げてきたチェルもまた孤独を抱えていました。
人も物もたくさんある大都会なのに理解者に恵まれずひとりでした。
最終的に彼女たちは待っていてくれる人、信じてくれる人、許し合える人の元へと帰っていきました。

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ではカノンは?
パーレルに来てからのカノンは確かに愛で満たされていたはず。
なのに結晶化してしまう理由は?


・空想全開のSF(すこし・ふしぎ)な話
ここでちょっと脇道にそれて第6話の考察をしてみたいと思います。
このエピソードで大事なキーワードは「過去」です。

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アクセサリーショップをしているマルトレがスケッチをしています。
新しいアクセサリのデザインを考えている可能性もありますが、ひょっとすると昔は絵描きを目指していた時期があったのかもしれません。
風車小屋のフラゼの家には映画のポスターが貼ってあります。
単にお気に入りのポスターを貼っているだけかもしれませんが映画俳優を目指していた可能性もあります。
シャンテはマンタと親しげに会話をしています。
昔は二人で放浪の旅にでも出ていたのでしょうか?

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そして示し合わせたわけでもないのになんとなく集まる大人組のメンツ。
何とはなしに漂うノスタルジックな雰囲気に上記のような過去を想像させます。
何十年に一度くる潮のせいで仕事にならないから昔のダチのところでくっちゃべってるだけかもしれませんがね(´・ω・`)

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この謎の潮が何なのかは劇中の情報ではさっぱりわかりません。
機械が異常をきたし、こと。
そして不思議なことが起こることとしか説明されません。
なのでキネオーブに映る少女と会話ができても何もおかしくありません。
むしろ「こんくらい分かれよ」という監督の強い意志を感じます。
……いや、違うな。
この作品ならこの言葉がふさわしいでしょう。
「イメージしろ!」

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この少女が誰なのか。
そのはっきりとした答えは劇中では明かされません。
ある程度特徴が一致することからフェルマの若かりし頃であろうと推測されます。
映像の中の少女が言うシェルシスがフェルマのことを指している可能性がありますので確証は得られませんが9割がたフェルマの過去の姿であると言えるでしょう。
ではなぜ過去のフェルマと会話ができるのか?

過去と現在の相互通信は物理的に不可能です。
たとえ僕が許しても相対性理論が許してくれません。
それにコーダさんが「キネオーブは映画を保存するためのただの器」とも言ってます。
であるならば映し出されている映像は現在進行形のものであり、会話はオーブの「中のヒト」と通話してることになります。
なぜオーブの中に過去のフェルマが入っているのか?

これは憶測ですがフェルマもかつて結晶化していたのではないでしょうか?
第1話でマーメイドは心やに無理がかかると結晶化すると言ってました。
そして映像の中の少女は体が弱いとも言ってました。
つまり昔のフェルマ都会で暮らすにはあまりにも病弱で結晶化せざるを得なかったと考えられます。

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となると映像の中の風景は結晶化中の心象風景であると考えられます。
サナトリウム疎開していたとするには人の気配がなさすぎるのです。
ビデオレターを撮っていたのなら看護士が付き添いをしていてもおかしくありません。

フェルマの結晶は砕けたあとも海に漂い、偶然このキネオーブに沈殿したんじゃないかと考えます。
また冒頭からフェルマ自身も追憶にふけってました。
そこに加えていろいろな怪現象を起こす謎の潮も相まって結晶化中のフェルマの想いが映像となったのです。
ビデオレターの体をなしていたのは結晶化中もフェルマは外に呼び掛けていたからにほかなりません。

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最後にフェルマ自身ではなくアルディが声をかけたのはなぜか?
SF脳的にはタイムパラドックスを避けるため」と考えがちですが今回は時間遡行はしないことを前提に考察しているのでこの考えは光の速さで却下です。

結晶化していた時期のことは多少なりともトラウマとなっていることでしょう。
かけるべき言葉を見つけられないフェルマ
それを見かねてアルディが声をかけたのです。
その内容はパーレルで暮らす今のフェルマの姿です。
それは映像の中のフェルマだけではなく隣にいるフェルマへの語り掛けでもあるのです。
なりたかった自分ではないかもしれないが今のままの貴女でいいのよ、と。
過去も現在も受け止め、いつだってそばにいてくれるアルディのこの言葉にフェルマがどれだけ救われたことでしょう。
愛ですよ。

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ちなみにこの時のキネオーブがアルディの言葉で浄化されて第10話のブランクオーブになったんじゃないかと勝手に想像してます。
つらい過去を乗り越えて楽しい今の思い出になるって考えると素敵じゃないですか。

それからフェルマがなりたかった夢とは何だったのでしょうか?
たぶんアイドルなんでしょうね。
第9話の打ち上げ(?)のシーンで歌いだすフェルマを見てコーダが「ここにもアイドルが」と言っていたあたり過去にデビューしてる可能性もあります。

とまぁ長々と考察を書きましたがところどころ無理があるのは百も承知です。
「過去と通話はできないものとする」と勝手に縛りを設けて考察した結果です。
1から100まで筋の通ったお話ってのもそれはそれで面白いと思うのですが僕は想像の余地が残っているぐらいのほうが楽しめると考えてます。
その点『カラパレ』は穴だらけ非常に楽しませてくれるいいお話です。
であるからこそ真剣に考察……いや違う、イメージ!しているんです。
僕だけのストーリーを!

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それにいくら海底で、しかも映画館の中にまでオーロラが広がっているからって、そうそう簡単に時空を超えたりなんかしませんよね~。
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

注 意
この作品は『ヴァンガード』です。
彼女たちがこうしている間もここ惑星クレイから遠く離れた地球で時空を超えたバトルが繰り広げられています。

・手抜きの技法
手抜きと聞くと悪いイメージが湧くかもしれませんが僕はそうは考えてません。
技術が身についてない者がする手抜きはただいい加減になるだけですが、しっかりとスキルをマスターしたものが行う手抜きは技法のショートカットになるんです。
その最たるものがワイプです。

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会話の演技って難しいんですよね。
舞台演劇の例がわかりやすいです。
観客席からは舞台は遠いので棒立ちでセリフをしゃべっても誰が発言してるかわかりません
だから手ぶり身振りを交えてセリフを言うんです。
それは誰が発言しているかのアピールであり感情表現であったりもします。

アニメにおいても同じことが言えます。
しかし手ぶり身振りをいちいち描くのは大変です。
だから表情がよく見えるバストアップにまでカメラを寄せて首から上だけのアニメーションで済ませようとするんです。
しかしそればかりだと構図が偏って飽きてしまいます。
なのでカメラを離して全景を写したり、角度を変えたりと工夫をするんです。

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ワイプはこれらの面倒な工夫を全部取っ払うことができます。
映像は見せたいところを映してセリフのある人物だけワイプに映せばいいんです。
誰がしゃべっているか一目瞭然だし、しかも表情も見える。
背景には状況説明のすべてが詰め込まれているのだから一石二鳥どころか三鳥です。

それと序盤はキャラの名前と声がなかなか一致しません。
よく訓練された視聴者諸君なら第1話の時点でキャラ名ぐらい把握するのでしょうが全員が全員そのような特殊能力を持っているわけではありません。
キャラ紹介パートとして使われる5話目が終わった後でも混乱を招かないように丁寧にキャラクターを見せる手法としてもこのワイプは優秀です。
女の子が10人以上登場して全員が同じ制服を着てみんながみんなキャピキャピしゃべってて、もはや誰が誰だかわからなくなる作品があったりする中、『カラパレ』はちゃんとキャラを覚えてもらおうとする努力が見えます。

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視聴者に十分にキャラクターの理解が行き届いたであろうタイミングで今度は彼女たちが頼むケーキをワイプするという高度なテクニック。
これはキャラの好みも覚えてもらおうという粋な試みです。
さすが西村監督。

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でもこの風船が膨らんだようなワイプさすがに何かの間違いだと信じたい。
何度見てもここで吹く。
ひょっとしてギャグでねじ込んだのか?


・手書きのこだわり
『カラパレ』はお世辞にも絵がきれいとは言えません。
スケジュールもカツカツだったんだろうなあ。
作品全体から危機感のようなものが感じ取れて毎週ドキドキが止まりませんでした。
であるにもかかわらず3Dモデリングに頼らずに手書きで作られているんですよね。
ひょっとしてアニメーターの新人育成をしているんじゃないかと思った次第です。

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ここすき
この作品、キャラがくるっと回るシーンがちょくちょくあるんですよね。
この「回る」って動作を手書きで描くのはものすごく大変なんです。
それをあえてやるのは「こんくらい描けるようになっとけよ」という愛の鞭なんじゃないかと思うわけです。

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それからソナタたちは着てる服がちょくちょく変わります。
時には同じ話の中で変わることもあります(画像は全部第9話)。
これは時間経過を表す記号でもあり、彼女たちのファッション方面での日常感をだす演出でもあります。
#着替えた服はたぶん洗濯してるんでしょうね。脱水乾燥もしてるのかな?

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この点は3Dモデリングのほうが苦手とするところです。
他には汚れ服のしわなどは手書きのほうが優れています。
こういった細かい“表情”にこだわりたかったからこそこの作品は手書きを選んだのでしょう。


・トレビア

プリズムパールは

首にしなくてもいい


第8話でソナタたちはグラディスに出会ったとき、すぐには気づけませんでした。
それはトゥインクル・パウダーが体に合わず幼い姿をしていたからだけではありません。

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首にプリズムパールがついていなかったからです。
その代り足首についています。
ひょっとしたら地上で長く暮らすうちにプリズムパールなしでも発声する術を覚えて、邪魔になったからアンクレットにしたって可能性もありますがね。


・唐突な当たり前の日常
第12話にてソナタたちは常日頃から『シャボン』を歌って通りを泳いでいたことが判明しました。

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「そんなシーン今まであったかよ」
と疑問に思った人もいるようですが、よく訓練された『カラパレ』視聴者にはこれがエンディングのことを指しているとすぐにピンときたと思います。
ん? 何?「後付けくせぇ」だって?
どうやらイメージが足りないようですね(`・ω・´)

「なくて七癖」という言葉があるように誰にでも癖はあると思います。
そしてその癖は誰かに指摘されてはじめて気づくってことも多いでしょう。
恒常化されたものはもはや空気のように、それがあることすら気づけないレベルで当たり前になってきます。
つまり劇中で歌っているシーンが一度もなかったのは視聴者にとっても空気のように当たり前の事として受け入れてもらうための高度な演出なのです。
仮に歌ってるシーンを描いたら「何歌ってんねん」とツッコミを入れ、12話で静かになっていれば「なぜ歌わない」とツッコミを入れていたことでしょう。
これでは視聴者と登場人物との間に溝が深すぎるのです。

ん?まだ納得しない?
仕方ないですね。

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第1話にて喫茶店で談笑していたアルディはソナタたちの楽しげな話し声を聞いて中断してました。
そして店に入ってくる彼女たちに「学校は終わったの?」と話しかけています。
このようににぎやかな子供たちの声が時報代わりになっているという描写はしっかりされてます。
第2話ではひっそりと映写機のことを調べようとしているのにあっさりフェルマにばれました。
彼女たちの存在がいかに町中の注目を浴びているかを物語っています。

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そのあとも5人が映画館へ向かう姿を大人たちが見送るシーンが時間経過の演出に溶け込むように差し込まれています。
そのとき何をしゃべっていたのか、あるいは歌っていたのか、それすらもわからないくらい自然に溶け込んでいます。
当たり前の日常の空気が描かれているんです。


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マルトレの「いつもの目覚まし」というセリフが唐突に感じるのは、劇中の人物にとっても元気のないソナタたちが唐突に火が消えたように感じられたからなのです。
いつも歌っていることを指摘されて急に恥ずかしがるのは、我々視聴者にとっても唐突に明かされたと感じるのと同じように、ソナタにとっても唐突に打ち明けられたからなのです。
このように登場人物をより身近にシームレスに共感してもらうために第1話からじっくりと演出が仕込まれていたことがおわかりいただけたでしょう。
もうこれ以上グダグダ言いません。
イメージしろ!


・死と再生のテンプレート
物語の道が開けて、障害にぶつかり(死)、それを克服する(再生)という王道のテンプレートがあります。
多くの物語で使われてきたこのテンプレを『カラパレ』は踏襲しています。

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大海流によって閉ざされていた映画館への道が開け解体の危機に瀕するもセレナたちの努力の甲斐あって営業再開を果たしました。
またパーレルに来たロケ隊の撮影していた映画も壁にぶつかった主人公がもう一度夢を目指すお話です。
このようにこのお話は全体を通して丁寧に伏線がちりばめられています。
であるならばカノンの再結晶は「死」の象徴であり「再生」というフィナーレが待っているはずです。
カノンが再生するのに必要なものは何か?

死と再生で見逃してはいけない人物がもう一人います。
それは第7話に登場したチェルです。
チェルは歌を捨て田舎に逃げてきました。

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しかし逃げてきた先でもチェルは否定されどん底に落ちます。
#なんていうか死人に鞭打つようなこの言動。カノンはちょっとサディスティックなところがありますよね(´・ω・`) やっぱりアイドル育成機関は厳しいところなのかな??

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それでもチェルは復活します。
田舎の生活に触れ、歌で笑顔にさせることに喜びを覚えたころ、純粋に歌が好きだったころ、すなわち原点を思い出すことでリスタートを切ることができました。

チェルは一人で再生を果たしました。
それは歌姫と呼ばれるほどの実績実力がなせるプロの御業なのでしょう。

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対してカノンはあれだけ大見えを切っておきながらこの体たらくです。
それもそのはず。
カノンはオーディションを逃げてきた半人前なのですから。
自分一人の力だけではこの困難を乗り越えることができないのです。

第7話をただのゲスト回ではなく対比として使っているところに演出の妙があります。


・カノンの悩み
ようやく本題に戻れます。
カノンの結晶化を解くには彼女の悩みを解決しなければなりません。
その根幹はオーディションを受けることにあるのでしょう。

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アイドルがステージに立つ意義は第7話で大ベテラン相手に偉そうに説教を垂れた時点で分かっているはずです。
映写機の不調で音声が止まった時、みんなと一緒に歌った事からもわかるように歌が嫌いになったわけでもありません。
であるならば何をためらうことがあるのでしょうか?
視聴者の僕にわからないのだからソナタたちにもわかるわけがありません。

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答えを持ってきたのは都会からの刺客ヴェラータです。
ヴェラータはソナタたちよりもカノンのことをよく知っている母親のような存在です。
しかしパーレルでの生活でどのようにカノンが変化していったのかは知りませんでした。

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それもそのはず、手紙が届いてなかったのだから……。
#これって古典的な手法ですよね。亜光速で飛ぶ船にメール、あるいは戦地にいる人への手紙を送り続けるも本人のもとに届かず、後でまとめて開封されるという……。まさかこんなローカルな手段でやってくるとは思いませんでした。

手紙に綴られた想いとカノンたちが上映した映画を見てヴェラータが導き出した結論は「カノンの本音は5人で一緒にオーディションに受けたいが、それを言いだすことができないでいた」というものでした。
手紙のほうは劇中で読んでくれたのでわかりますが映画のほうはどのように解釈されたんでしょうね。
おそらく鑑賞したのは第5話で上映した作品でしょう。

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雲の上から降りてきた少女は海底で娘と出会い仲良くなる。

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楽しい時を一緒に過ごすが少女は郷愁の念に駆られる。

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二人は口論になってしまい、娘は思わず少女の傘を奪ってしまう。
片時も手放さなかった傘は少女にとっては体の一部。
国へ帰るための唯一の手段であったと思われます。

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雨に撃たれ涙にくれる少女に娘は傘をさしてあげます。
そして仲直り。
少女の手は傘ではなく娘の手を取っています。

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許し合った二人を祝福するように虹の架け橋が現れ、ふたりは雲の上の国へと行く。

とまあこんな感じの内容でしょう。
カノンは雲の上の少女に自分を、海底の娘にソナタを重ねているのは間違いないでしょう。
とっくにふたりは手を取り合える仲になっているとカノン自身もわかっているが、それでもまだ虹の架け橋が見えないのでしょう。
なぜそこまで臆病になるのか?
それはソナタが優しすぎるからです。

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第1話のころからソナタはカノンに気を使っていました。
カノンが答えにくそうにしていると話題をそらし、少しでも居心地よくなるように歓迎会を開いたりしてました。
カノンがパーレルに来たわけをアルディが教えてくれようとしたときも、本人の口から言えるようになるまで待つと言いました。
自分よりも他人を優先するソナタにはアイドルの厳しい世界でやっていくには荷が勝ちすぎると考えたのでしょう。
どのくらい厳しいかというと歌姫様が逃げてくるぐらい厳しいです。

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またパーレルには都会から引き揚げてきた人が多いです。
夢をあきらめたのか、ほかに優先すべきことができたのか、理由はわかりません。
ですが彼女らがパーレルのスローライフを満喫しているのは確かです。
たぶん都会でやっていけるのはヴェラータのような人なんでしょうね。
そんなやさしい村で育ったソナタやフィナ、セレナがヴェラータのようになるなんて想像もつきませんね。
……キャロならワンチャンあるかな?

ソナタのやさしさから離れたくない。
でも夢もあきらめたくない。
この二律背反した想いは結晶化を招きました。
これを解決するにはソナタと一緒に夢をかなえるしかありません。

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「オーディションに合格する」「カノンを守る」「両方」やらなくっちゃあならないってのが「センター」のつらいところだな。
覚悟はいいか?
私はちょっと待ってほしい……。

真実を告げられてソナタは戸惑いました。
カノンの心配が的中したことになります。
ソナタのことをちゃんと理解している証拠でもあります。

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そんなソナタの背中を押したのはキャロでした。
「やってみなくちゃわからない」「友達だから力になってあげたい」
未知なるものにはドキドキが詰まっているというフロンティア精神に基づいた、実にシンプルな答えです。

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覚悟を決めた4人は映画館で『シャボン』を歌ってカノンの目覚めを促しました。
しかし小さなキネオーブは再生の負荷に耐えかねて粉々に砕けてしまいます。
ここでも死と再生のテンプレートが使われるのです。
今までにも様々な困難がありました。

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しかし今回は大人たちの助けはありません。
偶然による解決もありません。
今回だけは自分たちの力で乗り越えなければなりません。
音楽が止まった中でアカペラで最後まで歌いきる。
これはカノンに最後まで付き合うという覚悟の現れなのです。

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思い返せばこの小さなキネオーブはカノンの心そのものだったのでしょう。
花壇の隅に隠れるようにあったのはカノンのひそかな本音。
脆く、繊細で、そして小さな小さな、されど手放すことのできない悩み。
それを打ち砕いてくれたのはパーレルで出会った4人の友達。
無音になり、何もなくなった空間に響く歌の続き。
白紙を彩るような4人の歌声にカノンは未来を見たことでしょう。
そこに自分も加わり5色の歌声を響かせたいと強く願うことで固く覆われた結晶を、すなわち自分の殻を破ることができたのです。

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カラフル・パストラーレが誕生した瞬間です。


・人を魅せるものは?
バミューダトライアングル~カラフル・パストラーレ~』は成長の物語です。
アイドル業界でしごかれトップスターを目指すのも成長物語だと思いますが、そういうのはバ〇ダイやKDKWがやってくれてるのでそっちに任せましょう。

アイドルという職業は人を魅了するのが本分です。
人を魅せるもの、それもまた「人」なのです。
『カラパレ』はのちにステージに立つことになる(そして君たちのお手元に届く)彼女たちの生い立ちを描いたライフヒストリーです。
すなわち彼女たちの人間としての成長に焦点を当てた作品なのです。

アイドルものだと生い立ちは回想程度に留まりあまり深く描かれることはないでしょう。
悩みや苦難もトップスターであり続けるための職業上のものに偏ってしまいがちです。
それだと視聴者キャラクターの距離はファンアイドルの関係になってしまうのです。

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ソナタたちの悩みはとてもささやかなものです。
しかし成長はとても大きいものです。
パーレルに来たばかりのころはおどおどしていたカノンも村の人とすっかり打ち解けていたりといろいろなところで成長が見れます。
視聴者はそんな彼女たちの隣人という距離感で成長を見守り、最後にはステージに立つ彼女たちを見送るのです。

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彼女たちならきっと大丈夫だろう、と。
やさしさに包まれたパーレル村でしっかりと心を成長させていったのだから……。


・最終話のツッコミどころ

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マンタには子供ができカプリ達も大きくなったのにポコは一切変化しませんw
まあカワウソだからこれ以上大きくはならないだろうけど。
#それともポコ2号なのか?

このツッコミどころには何か意味があるはずです。
何の理由もなく西村監督がギャグをねじ込むとは思えません。
あれから村が様変わりするぐらい時間は経過しました。
オーディションも一筋縄ではいかなかったでしょう。
それこそ当初ファンが望んでいたアイドルものが1クール書けるぐらいの苦労をしてステージに立っていると思われます。
けれども彼女たちの心根は村にいたころとちっとも変わっていない。
その象徴として変わらぬポコがいるんだと思います。
そしてテレビ中継を通じてあの頃聞いた彼女たちの歌声が村に響き渡るのです……。


ここまで読んでくれてるかわかりませんが最後までご高覧いただきありがとうございます。
このブログは一人のオタクがアニメの感想や考察を徒然と書き記したただの蛇足です。
たいした価値もありませんが読んでくれた人が新たな気付きを得て『カラパレ』をもっと好きになってもらえたら幸いです。

ソナタカノン、フィナ、セレナ、キャロの5人が収録された『ヴァンガード』のブースターが好評発売中です。
近くにカードショップのある方は昨今流行のキックスターターのつもりで買ってみるのもいいでしょう。
何かの間違いで二期ができ、アイドルとして活躍する5人が映った時には「ワシが育てた」と自慢できますよ(笑)


追記(21/09/29)
実は動画にしてました。
ブログ引っ越しを機にリンクを張っておきます。

『バミューダトライアングル~カラフル・パストラーレ~』が見たくなるお話 - YouTube